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神戸和田岬、大和田の津を求めて
(08)


平清盛の夢の跡をポタリ〜
ビリケンさん、大仏様、鉄人28号も飛び入りで〜
震災の爪痕も、御冥福を祈りつつ…
 

 
             撮影:平成22年01月30日  

一遍上人示寂の地
真光寺

兵庫七福神・福禄寿

※ぶらりと〜

須佐の入り江の目印となっていた
和田の笠松

※秋風の吹き来る峯の村雨に
さして宿借る和田の笠松
藤原為家
鎌倉時代初期の歌人

マップで確認

※便利です〜^^

中国の宋と交流した清盛
一遍上人・高田家嘉平・
勝海舟・伊藤博文
を思いながら〜

※ドラえもんのどこでもドアのイメージで…
(看板より)

兵庫大仏の前にて

※鐘楼は無し

神戸事件
文化の違いによる事件。
横浜でも〜有りましたよね。
でも、公式な行列を横切るのは
西洋でもマナー違反では??

※瀧 善三郎正信の碑

酸いも甘いも
すべて
大仏様が見守られて〜

※落ち着きますな。。

藤川球児や〜!と…
浮ドン。。。

インド的な面持ちの弥勒菩薩
(だと思いますスミマセン)

※天真獨朗



弥勒菩薩横にひっそりと〜
汽船豊瑞丸沈没死者追悼紀念碑

※調べると
汽船豊瑞丸は1856年にイギリスで製造され
元治元年(1864)に引き渡されている。
明治7年(1874)長崎から神戸へ航行中機関爆発し沈没。

明治29年(1896)6月13日 
汽船豊瑞丸・汽船河野浦丸の衝突事件発生
(広島県大久野島灯台付近)16人死亡
(国土交通省海難審判資料より)

曰く付ですね。




本堂は京都東山の月輪御陵にあった
拝殿「月輪影殿」を昭和28年(1953年)に
宮内庁と九条家より拝領し移築したもので、
歴代天皇が参拝した由緒ある建物といわれている。


※ここの灯篭も
欠けた所が残ったり
修復されていました。

力石では?
多宝塔の頭でしょうか?
高島先生〜如何でしょうか!?

※當勝稲荷さん

兵庫七福神・毘沙門天
前出の北風家の墓所も…
能福護国蜜寺寺天台宗。宝積山(ほうしゃくざん)。
本尊は秘仏・薬師如来。
延暦24年(805)最澄により能福護国密寺として創建された
日本最初の密教教化霊場。
治承4年(1180)平清盛の福原京遷都計画にともなって
平家一門の祈願寺に定められ、大伽藍が建設されたが、
その後兵火により灰燼に帰した。
1599年(慶長3年)に明智光秀の臣、長盛法印が
再興したという伝がある


※このアングルも好きですわ!

毘廬舎那仏(光明遍照)像で、像重量約60t、像高11m、
蓮台と台座を含めると
高さ18mになる巨大な坐像。

※1880年撮影(私じゃぁ無いですよ^^;)
豪商・南条荘兵衛の寄進により1891年(明治24年)に
建立されてから金属回収令で国に供出される
1944年(昭和19年)までの間、
奈良・鎌倉に次ぐ、日本三大大仏の1つに数えられた。

平相國廟(へいしょうこくびょう)
和元年(1181)清盛の死後、能福寺の寺領内にあった
太平山八棟寺に墓所平相國廟が建立されたと云う。
平家滅亡と共にことごとく破壊された。
弘安9年(1286)2月、北条貞時が一基の石塔を建て、
清盛の霊を弔ったのが現在に伝わる清盛塚十三塔である。
清盛公800回大遠忌を迎えるにあたり平家物語類書にも
有名な平相國廟を昭和55年2月建立復興した。
 



後ろの正面〜
見に



近くの
神明稲荷さん



次へ〜

※後日、今です…気が付きましたが〜
布袋尊 柳原天神社に行ったら
この日、兵庫七福神巡り
だったんですわ〜残念!
久々の怪しい親爺ワッパの会のポタは、
浮ドン得意の鶴の一声、突ポタ!
前夜の東出張は新幹線の
大混乱でお疲れ気味…
さてさて〜いつものペースに戻れるか?

カモサンが自走で出席!

まだまださん、
ねずみ君福ちゃんは
お休み。。
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